ユウイチの振り降ろす拳は、ちょうどその場に居合わせた蝿をはじき飛ばし、そこに立っていたスクリュードではなく、アスカに向かっていた。
「ちがっ!」
「ユウ?」
 アスカが、何の疑いもないまっすぐな瞳で、彼を見上げる。
 しかし、今のユウイチには拳の勢いを止めることができない。目を見開き、彼女の顔を見つめるだけだ。
 彼女の唇が何かを告げ、優しい笑みが広がる。
「アスカぁぁっ!」
 ユウイチは目を閉じ、心が引き裂かれる激痛が夢であることを祈った。
 瞬間、拳が肉にめり込み、骨を砕く感覚が腕を登ってくる。
 そして、液体の詰まった袋が破れたような音が響いた。
「わあああっ!」
 ユウイチは目を閉じたままその場に崩れ、狂ったように声をあげた。
 忌まわしい左の拳を、何度も地面に打ち付ける。もし右腕があれば、迷わず左腕を、断ち切っていただろう。
 脳裏に、アスカが彼に見せたいろいろな表情が浮かんでは消える。そして、最後の笑顔と言葉が、骨を砕く感覚を思い出させた。
「アスカぁ!」
「……イチ!」
 身体中に後悔と自己嫌悪が駆け巡るユウイチの耳に、心地よい聞き慣れた声が響く。
 ユウイチはハッとして目を開いた。
 彼の目の前には、顎を砕かれたスクリュードが横たわり、信じられないものを見るような目でユウイチを見上げている。
 ユウイチは頭が混乱し、周囲に目を配った。
 そして、こちらに駆け寄る少年のような少女と目が合う。
「あ、アスカ……」
「ユウっ!」
 アスカは、子犬のようにユウイチの首に飛びついた。
 ユウイチは無意識に彼女を抱きしめ、彼女の体温を確かめる。
「ど、どうやって?」
「位置交換の術にこんな使い方があるなんて、考えてもみませんでした」
 ユウイチの呟きに応えるように、ステラが静かに呟いた。
 それが聞こえたのか、地に伏すスクリュードの顔色が変わる。
「蝿の王とは、よく言ったものです。位置交換で任意の瞬間移動を実現するために、蝿を放っていたわけですね?」
 ステラは顎を砕かれた男に尋ねるが、男は目を見開いたまま動かない。
 彼女はその男のそばまで歩み寄り、悲しげな目で見つめた。
「確かに、生き物である蝿なら、人と同じ複雑さです。あなたは本当に頭のいい人ですね。でも、あなたは間違っています。……変異は世の中を良くするもの。それが、変異の七神が我々に力を与えてくださった理由なんですよ」
 淡々と説くステラに、スクリュードがふっと目を細める。
「ステラっ!」
 ユウイチより早く、アスカが動いた。
 彼女の細剣が閃き、スクリュードの眉間への軌跡を描く!
 しかし、細剣が彼の眉間にめり込もうとした瞬間、彼の姿が消えた。
「また?」
 アスカが呟いたが、次の瞬間には彼の姿がまた現れた。
 そして、細剣はスクリュードの眉間に吸い込まれていく。
 男は驚きと憎しみに大きく見開いた目をステラに向け、そのまま瞳の輝きを失わせた。
 その瞳の先にいるステラは、大粒の涙をポロポロとこぼしながら、その視線を受け止めていた。


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